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前のブログでは、私の考える”大人”の第一の要素は、「社会的・時間的な状況の中で、ちゃんと自分の立ち位置がわかっていることじゃないか」というところまで書きましたっけ? あったり前、言われそうですが、この商業主義やら、似非個人主義?がはびこる時代、曇りのない目を持ち続けるのは、結構、難しいかも。 つぎに行動の方(こっちが本題か?)。 それじゃ、『”社会的・時間的状況を勘案すると、自分の欲求を満足させるべきではない”と判断した(言い換えると、理性がSTOPをかけた)ときに、その判断に基づいて素直に行動を自制できるか?』ってことなんですけど、これが、私は私利私欲の塊のような人間なので、書くのは簡単だけど、実践するのはなかなか難しい。毎日が「頭ではわかってるんだけどねえ」なんてことの連続。一応、社会に迷惑はかけずに生きてるつもりですけど、「ちょっとぐらいなら・・・」、「まわりがやってるから・・・」なんて悪魔がささやくんですよ、耳元で。 こういう状況で、私のような”か弱い”人間が行動を自制するものがあるとしたら、”責任感”とか、”使命感”とか、そういったものになるんだろうなあ。だから、自分の感覚としては、大人になる過程とは、使命感とか責任感を自分の中で確固としたものにしてゆく過程とほぼ同義なんですよね。 まあ、これは一朝一夕にはなかなか育たないわけで、それこそ日々研鑽な訳です。。”子供を責任もって育てる”なんてのも、その1つかも。 でも、責任感とか、使命感の源泉って、自分を超えている人や、自分の想像を超える景色や、ものを見たり、感じたりして、自分ってちっぽけだなあと思うところにあるような気がしませんか?”責任感”だって、何かに与えられた自分の役割をしっかり果たすってことだし、”使命感”にいたっては、まさに自分を超えたものに突き動かされているってことに、他ならないですもんね。 だから、大人だなあと思える人は、つねに謙虚で、なっつさんの言われているように、「大人だと思える人ほど、自分はまだまだと思ってる」ってことになるんじゃないでしょうか。 このまま続けると論点がぼけそうなので、ここらでまとめると、私の考える”大人”の第二の要素は、「責任感や使命感で自分の行動を律することができる」ということなのかなあ。 さいごに 最後ですが、心理学者のフランクルがナチス強制収容所の囚人としての凄惨な体験を通じて学び取った言葉(「夜と霧」(みすず書房))から。 「人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。そのことをわれわれは学ばねばならず・・・・」 ああ、究極の大人の言葉だよなあ。のほほんと生活している私は、一生、こんなこと言える様になれるとは、思えませんけど。 |
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すいません、もう続きは出ていたのですね。見落としていました。ごめんなさい。 |
なっつ 2008/02/22 23:49 |
いえいえ、今、アップしたばかりです。 |
kooning 2008/02/22 23:57 |
>人生が何をわれわれから期待しているか・・・真理ですね。 |
kooning 2008/02/23 07:40 |
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