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今回の内容は自分の考えをまとめるために書いてますので、訳が分からないと言われそうですが、許してください。 最近、環境問題がいろいろと話題になりますが、これ別の見方をすると”時間の価値”の復権、あるいは時間に対する新しい価値の創造と考えられないでしょうか? その昔、抗うことのできない厳しい自然に対峙していた人間は、自分がいつ死ぬかわからない環境の中で、子孫が永続的に続くことを切に願い、時間に対して今以上の価値を見出していたものと考えられます。 ところが、産業革命以降、市場経済が浸透するにつれて、この時間の重要性はどんどん薄れ、現時点で、どれだけ価値があるかということに重きがおかれるようになりました。 だって、内田樹が言っているように、「市場経済を形作っている経済活動の基本は、時価での等価交換」ですから(下流志向、講談社)。 あくまで経済活動は、無時間な世界の中でなされるのです。 人間は、時間を考えると、不確定要素が多すぎて、定量的に等価かどうかを判断できなくなる生き物なのです。 ところが近年、この市場主義が日常生活にまで浸透し、時間の概念を忘れていたら、知らぬ間に様々なところにひずみがでて、のっぴきならない状況が生まれてきたので、「これはあかん、やっぱり時間と言う価値にもう少し重みを置かないといけない」と思う人たちが増えてきたわけ。 この科学分野での時間に対する価値観の揺り戻しが、環境問題の根幹なのではないでしょうか。 教育なんてのも、多くの人が指摘しているように、時価で評価できないものの代表のはずなんですけど、学力向上(いわば教育⇔学力間の等価交換)なんてことばかり言ってるようでは、この分野での時間の価値の揺り戻しのスピードはまだまだですね。 でも、ルネサンスが一人の詩人の作品から始まったように、価値観の変化は、きっかけは小さくても、機が熟せば爆発的に広まるものなのかもしれません。 もしかすると、環境問題に端を発した時間の価値の再評価が、今後、さまざまな分野に波及して、いろいろなところで意識の変革を進めるかもしれない。 これは、世界がすこしずつ正常な方向に戻る兆しかも。 しかし、すでに時限爆弾のスイッチが入った感のある環境問題のように、この”時間の価値”に対する再評価が遅きに失しなければいいなと思います。 |
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