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とうとう4月。新しい年度が始まってしまいました。 昨年度の仕事は何1つ終わってないんですけど、時間だけは容赦してくれません。 新年度1発目のブログは、パパの書評。 今回は、「サイゴンの十字架」(開高健)と「佐藤さん」(片川優子)の まったくジャンルの違う2作品をご紹介。 「サイゴンの十字架」 開高健 光文社文庫 お気に入り度: ![]() ![]() ![]() ![]() 中学の頃には、友達と一緒に近所の畑の腐葉土をひっくり返してミミズを捕まえ、 それをエサに近所の川でよく魚釣りをしたもんです。 あの頃のバイブルはと言えば、漫画なら矢口高雄の「釣りキチ三平」。 文学なら、開高健のアマゾン釣り紀行「オーパ!」。 「地球の反対側には、抱えきれないほど大きなナマズやら、 金色の魚などがいるんだなあ」などと、 子供心に冒険心を掻き立てられました。 本屋の文庫本の新刊コーナーでふと目に付いたのが、 開高健のベトナム戦争のルポルタージュ選集「サイゴンの十字架」。 この人の真骨頂は、ベトナム戦争の政府軍への従軍記と、 この凄惨な体験に基づく文学作品だとは知っていたのですが、 今まで読んだことがなかった。 しかし、なぜ今、開高健? なぜ、ベトナム戦争? この本を読んでみると、ベトナム戦争下での一般人の生活や、 北から南に転向した軍人のインタビュー、米軍の撤兵の様子、 戦時の聖職者の行動などを活写しながら、ときに熱く、ときに冷静に、 作者の思いが書き添えられています。 でも、その底流にあるのは、開高健の人間への飽くなき探究心と、やさしさ。 豪放な文章を書く人ほど、とても繊細でやさしいのです。 良いところも、悪いところも含めて、この人、とことんベトナム人が好きなんだろうな。 破壊される街、荒廃する生活、増える犠牲者、無責任な撤兵。 どれをとってみても、規模の差はあれ、40年前のサイゴンと現在のバグダッドの 状況とが重なります。 しかし、アメリカという国も、つくづく、あんまり変らないんだなあ。 というより、反共という理念があったベトナム戦争に比べ、どう考えても道理の 通らないイラク戦争の方が、むしろ後退したというべきか。 こういう本が40年たっても輝きを失わないことに、人間のおろかさを思い知らされる と同時に、普遍的な人間のたくましさや、バイタリティーに一縷の希望も。 子供たちが大人になるころには、ベトナム戦争もイラク戦争も完全な過去の遺産に なっていればいいけど、状況は悲観的ですよね。 「歴史はピリオドのない劇である。希望と虚妄のピリオドのない劇である。」(開高健) 「佐藤さん」 片川優子 講談社文庫 お気に入り度: ![]() ![]() ![]() 気弱な高校生の僕(佐伯君)と、霊が憑いてるクラスメイトの女の子(佐藤さん)との 甘酸っぱい青春ラブストーリー。 なかなか「好き」と言い出せない僕と佐藤さんとの恋は、はたして実るのか? ベトナム戦争の渾身のルポのあとに、中学生(いまは大学生)の女の子が書いた 青春小説を読むってのも、ほんとにポリシーの無い読書ですね。 まあ、右に振れた振り子は左に振れないとバランスが取れないんですよ。私の場合。 大人の作家が高校生とか書くと、「今の高校生、そうは考えないんじゃないかなあ」 なんて思って、たまにしらけちゃう事があるんですけど、 なにせこの作者の場合には等身大ですから、リアリティーが違います。 もちろん、ストーリー展開とか、文章とかは、まだまだ荒削りな感じは否めないけど、 少なくとも私が高校生の頃には、こんな小説はとても書けません。 もとい、今でも書けません。ブログ読まれると、文才ばればれですね。 これから恋やら、いろんな人生経験積んでったら、末恐ろしい作家になりそう。 あせらず、天性の才能を磨いてほしいもんです。 これからも作品をチェックさせてもらいます。 娘の成長を見守るパパ気分です。 |
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